

特典音源『月食|げっしょく』本日まで。
特典音源『月食|げっしょく』 無境 本日、 「月読|つきよみ」は九つの月を巡り、 ひとつの輪を結びました。 感受から、 調和へ。 そして、 調和から、もう一度感受へ。 「月輪|つきのわ」の九つの響きは、 これでひとつの世界として完成しています。 けれど、 その九つとは別に、 もうひとつだけ、 特別な音があります。 10|月食|げっしょく [無境] これは、 「月読」の第十篇ではありません。 九つで完成した「月輪|つきのわ」に、 期間限定で添えられた、 ひとつの「+」です。 「月食」は、 第一曲「月輪」をベースに、 新たな脈動を加えた特別なリミックスです。 同じ音。 同じ流れ。 けれど、 そこにひとつの脈動が加わることで、 それまで見えていなかったものが、 静かに輪郭を持ちはじめます。 月食という現象もまた、 影によって、 普段は意識することのない関係を私たちの前に現します。 太陽。 地球。 月。 ずっとそこにあった配置が、 影によって、 一瞬だけ姿を見せる。 音もまた、 それに似ているのかもしれません。 聞こえている音の背後には、 聞こえていない
58 分前読了時間: 3分


月読|つきよみ 第九篇
月影|つきかげ 調和 満ちるということは、 何かを足し続けることなのでしょうか。 ひとつ。 またひとつ。 光を重ね、 最後には、 欠けたところが何もなくなること。 けれど、 ここまで月を見つめてきて、 満ちるということは、 少し違うのかもしれないと感じています。 光だけになることではない。 影をなくすことでもない。 これまで通ってきたもの。 受け取ったもの。 手放したもの。 見つけたもの。 そのすべてが、 ひとつの場所へ静かに還っていくこと。 第九曲「月影」に込めたものは、 調和。 今日、 月は満月を迎えました。 新月の暗闇から、 ほんの細い光が生まれ、 一日ずつ、 少しずつ満ちてきた月。 そして今、 ひとつの輪になりました。 月読も、 ここまで九つの月を巡ってきました。 感受。 浄化。 共時。 瞑想。 幸運。 内観。 多幸。 明晰。 そして、 調和。 最初に必要だったのは、 何かを変えることではありませんでした。 ただ、 受け取ること。 感受。 そこから、 自分の中に重なっていたものをほどき、 本来の静けさへ戻っていく。 浄化。 余白が生まれる
1 時間前読了時間: 5分


月読|つきよみ 第八篇
第八篇|霽月|せいげつ 明晰 見えることと、 わかることは、 少し違います。 たくさんのものが見えていても、 心の中が騒がしければ、 本当に大切なものを 見失ってしまうことがあります。 反対に、 すべてが揃っていなくても、 ある瞬間、 驚くほど静かに、 「わかる」 ことがあります。 第八曲「霽月」に込めたものは、 明晰。 ここまで月読は、 ひとつずつ、 心の中にあったものを巡ってきました。 感受。 浄化。 共時。 瞑想。 幸運。 内観。 多幸。 受け取り、 ほどき、 つながりに気づき、 静けさへ沈み、 小さな兆しを見つけ、 自分自身を見つめ、 そして、 すでにそこにあった幸せを受け取る。 そうして少しずつ、 心の中にあった余分な音が 静かになっていく。 すると、 今まで見えなかったものが 見えてくることがあります。 新しい答えが加わったからではありません。 むしろ、 余計なものが減ったから。 霽月。 雨が過ぎ、 雲がほどけ、 その向こうにあった月が現れるように。 月は、 雲がなくなったから 生まれたわけではありません。 ずっと、 そこにあ
1 日前読了時間: 5分


月読|つきよみ 第七篇
第七篇|月宮|つきのみや 多幸 幸せは、 ひとつの大きなものなのでしょうか。 願っていたことが叶うこと。 何かを手に入れること。 人生が大きく変わること。 私たちは、ときに、 そうした特別な出来事の中に幸せを探します。 けれど、 本当に私たちを満たしているものは、 もっと小さく、 もっと静かで、 ひとつではないのかもしれません。 第七曲「月宮」に込めたものは、 多幸。 たくさんの幸せ。 けれどそれは、 大きな幸福がいくつも押し寄せてくるという意味ではありません。 むしろ、 今まで見過ごしていた小さな幸せに、 ひとつずつ気づいていくこと。 その積み重なりの中で、 いつの間にか、 「すでに満たされていた」 と気づくこと。 そんな感覚です。 前回の「孤月」では、 内観 について綴りました。 外側に答えを探すのではなく、 自分の内側へ戻る。 光だけでなく、 影も含めて、 今の自分をそのまま見つめる。 すると、 不思議なことが起こります。 足りないと思っていたものよりも、 すでにあるものの方が、 少しずつ見えるようになる。 誰かの言葉。 いつもの景色。 好
4 日前読了時間: 5分


月輪から、日輪へ。
月輪から、日輪へ。 ふたつは、最初からひとつの設計でした。 「月輪|つきのわ」と、「日輪|ひのわ」。 月と太陽。 映す光と、放つ光。 このふたつは、別々に生まれた作品ではありません。 最初の構想から、 互いが深いところで響き合うように、 ひとつの世界として組み上げてきました。 現在、 「日輪|ひのわ」 の制作は、完成に近いところまで進んでいます。 月輪には、 フラクタス・ハルモニア™による調律と、 ファンクショナル・サウンド™による特殊機能音源の設計が重ねられています。 フラクタス・ハルモニア™が持つ、 水面に一滴の雫が落ちたときのような、静かで深い響き。 そこへ、 ファンクショナル・サウンド™の機能的な音の設計を重ねる。 月輪をすでに聴いてくださっている方には、 あの深い没入感を体感していただけているかもしれません。 そして日輪もまた、 同じ根を持ちながら、まったく異なる光を放つ作品として設計されています。 月輪が、 静かに受け取り、内側へ沈んでいく音だとすれば、 日輪は、 そこから光を放ち、外側へひらいていく音。 月が太陽の光を映すように、
5 日前読了時間: 3分


月読|つきよみ 第六篇
第六篇 孤月|こげつ 内観 光が増えるほど、 見えるものも増えていきます。 新月の暗闇を越え、 小さな兆しが現れ、 月は少しずつその光を取り戻してきました。 そして今日、 月は上弦を迎えます。 光と影。 その両方を、 ひとつの月の中に抱えた姿。 第六曲「孤月」に込めたものは、 内観。 前回の「月暈」では、 幸運について綴りました。 幸運とは、 完成した形で突然届くものではなく、 まず、 小さな兆しとして現れるのかもしれない。 その光に気づき、 ほんの少しそちらへ歩いてみる。 けれど、 兆しが見え始めたときほど、 一度立ち止まることも大切なのだと思います。 外側に現れた光をただ追いかけるのではなく、 その光を見たとき、 自分の内側で何が動いたのか。 そこへ目を向けてみる。 心が動いたのか。 身体が軽くなったのか。 なぜか惹かれたのか。 あるいは、 少し怖くなったのか。 答えは、 外側の出来事だけにあるとは限りません。 同じ出来事を見ても、 心が動く人もいれば、 何も感じない人もいる。 だからこそ、 本当に読むべきものは、 出来事そのものよりも、
9月19日読了時間: 5分


FS™制作チームから、ご挨拶です。
「月輪|つきのわ」を、お楽しみいただけておりますでしょうか。 皆様のもとへこの音が届き、その響きが少しずつ広がっていくことを、 制作チーム一同、言葉にできないほどの多幸感に包まれながら見つめています。 心より、感謝申し上げます。 「月輪|つきのわ」は、 フラクタス・ハルモニア™による調律と、ファンクショナル・サウンド™の設計を重ね、 できるだけシンプルに、その響きそのものを感じていただける形を目指しました。 制作している私たち自身も、何度その音の中へ深く沈んだことでしょう。 作り手でありながら、いつの間にか、ただ聴いている人になる。 それほどまでに、特別な制作体験でした。 そして、この物語は、 「月輪|つきのわ」から「日輪|ひのわ」へ。 月が光を映し、太陽がその光を放つように、 ふたつの作品は、互いに響き合うよう設計されています。 「日輪|ひのわ」は、まもなく完成を迎えます。 リリースは未定ですが、良きタイミングにて現れます。 「月輪|つきのわ」をご購入いただいた皆様には、アカウントに月のバッジが付与されています。 この月のバッジは、「日輪|ひの
9月16日読了時間: 2分


月読|つきよみ 第五篇
第五篇 月暈|つきがさ 幸運 幸運は、 突然やってくるものなのでしょうか。 大きな出来事。 思いがけない成功。 願っていたものが 突然手に入ること。 私たちは、 そういうものを 「幸運」と呼ぶことがあります。 けれど、 本当の幸運は、 もっと小さなところから 始まっているのかもしれません。 ほんの少し、 流れが変わる。 偶然、 必要としていた言葉に出会う。 なぜか気になる場所へ行ってみる。 ふと思いついたことを、 そのままやってみる。 その瞬間には、 それが何につながっているのか まだ分かりません。 けれど、 あとから振り返ったとき、 「あそこから始まっていた」 と気づくことがあります。 第五曲「月暈」に込めたものは、 幸運。 前回、 月読は新月へ辿り着きました。 朧月|瞑想。 見えていたものを手放し、 答えを探すことをやめ、 ただ静けさの中へ沈んでいく。 そして今、 月は再び 少しずつ光を取り戻し始めています。 最初に現れる光は、 まだとても小さい。 満月のように 夜を明るく照らすものではありません。 注意していなければ、 見過ごしてしまうほど
9月13日読了時間: 5分


月読|つきよみ 第四篇
第四篇|朧月|おぼろづき 瞑想 見えないものは、なくなったのでしょうか。 今日、月は見えません。 空を覆う雲の向こうにも、そして新月を迎えた空にも、 いつものような月の輪郭はありません。 けれど、 月そのものが消えてしまったわけではない。 ただ、 見えなくなっている。 今日は、そんなところから始めてみたいと思います。 第四曲「朧月」に込めたものは、 瞑想。 第一篇では、 感受。 まだ言葉にならないものを受け取ることから始まりました。 第二篇では、 浄化。 心に残っていた引っかかりをほどき、本来の流れへ還っていく。 そして第三篇、 共時。 余白が生まれたことで、 離れていた出来事の間に小さなつながりが見え始めました。 けれど、 共時性に気づいたあと、 私たちはもう一度静かな場所へ戻る必要があるのかもしれません。 見つけたものを追いかけるのではなく、 すぐに意味を決めるのでもなく、 ただ、 静かに置いておく。 瞑想とは、 何も考えないことではないと私は思っています。 思考を無理に止めることでも、 頭の中を真っ白にすることでもありません。 浮かんでくる
9月11日読了時間: 4分


フラクタス・ハルモニア™|設計の断片03
03|ここでしか、響かない音。 ここまで二回にわたり、 フラクタス・ハルモニア™についてほんの少しだけ、その設計の内側をお話ししてきました。 最初に置いたのは、 2160 というひとつの数字。 月の直径。 正立方体。 2160Hz。 そして、その先にある 音の設計。 音の高さ。 音と音との関係。 比率。 さらに、 Pitch|音高Pulse|時間 聞こえている音の背後には、聞こえていない構造があります。 けれど、 どれほど美しい構造があっても、 どれほど数の関係が整っていても、 それだけでは音楽にはなりません。 最後に残る問いは、 とてもシンプルです。 それは、実際にどう響くのか。 フラクタス・ハルモニア™をつくる中で、 私たちが最後まで確かめてきたのも、結局はそこでした。 数として美しいこと。 構造として成立していること。 そして、 耳で聴いたときにも美しい響きとして存在できること。 その三つが重なる場所。 理論だけが正しくても、音として心地よくなければ意味がない。 反対に、 ただ心地よいだけで、その背後に構造がなければ、 それはフラクタス・ハ
9月10日読了時間: 4分


月読|つきよみ 第三篇
第三篇|月華|つきのはな 共時 偶然は、いつから意味を持ちはじめるのでしょう。 たまたま耳にした言葉。 ふと目に入った数字。 なぜか気になった場所。 考えていたことと、まるで呼応するように起こる出来事。 ひとつだけなら、きっと偶然として通り過ぎてしまいます。 けれど、 いくつかの出来事が不思議なほど重なったとき、 私たちはそこにひとつの流れを感じることがあります。 第三曲「月華」に込めたものは、 共時。 第一篇「月輪」では、受け取ることについて綴りました。 感受。 第二篇「素月」では、心の中にある引っかかりやわだかまりをほどき、 本来の流れへ還っていくことについて。 浄化。 そして、その先に現れるのが、 共時。 なのだと思います。 なぜなら、 心の中が何かでいっぱいになっているとき、 私たちは目の前に現れている小さな兆しに気づくことができないからです。 答えを急いでいるとき。 何かを強く求めているとき。 自分の考えだけで世界を埋め尽くしてしまっているとき。 そこに何かが現れていても、 それを見るための余白がありません。 けれど、 ひとつ何かを手放
9月9日読了時間: 5分


フラクタス・ハルモニア™|設計の断片 02
02|音には、設計図がある。 前回、 2160 というひとつの数字についてお話ししました。 月の直径。 正立方体。 そして、2160Hz。 けれどフラクタス・ハルモニア™にとって、2160Hzは到達点ではありません。 むしろ、 ここから設計が始まります。 音楽には、目には見えない構造があります。 一つひとつの音。 音と音との距離。 重なったときの響き。 そして、その音が現れる時間。 普段、音楽を聴くときにそれらを意識することはほとんどありません。 私たちはただ、 美しい。 心地よい。 落ち着く。 何かを感じる。 そうやって、ひとつの響きとして受け取ります。 けれど、その背後では、 音と音の関係が非常に細かな秩序をつくっています。 フラクタス・ハルモニア™では、2160という座標を起点に、 一定の整数比からそれぞれの音を導いていきます。 どこに音を置くのか。 隣り合う音との距離をどのようにつくるのか。 複数の音が重なったとき、どのような関係になるのか。 それは、 「この数字が好きだから」 「この周波数に良い意味がありそうだから」 という理由で決めて
9月6日読了時間: 4分





